2016-01-01から1年間の記事一覧

パサイ王国の王祖

13世紀、マレー半島の南にあるスマトラ島北部(マラッカより東)にパサイという港市国家が生まれました。この建国神話は、14世紀に原型ができたという『パサイ王国物語』に記載があります(現存する写本は18世紀のもの)。『パサイ王国物語』はマレー語によ…

李朝実録にみる兀狄哈(Udikai)の獣婚譚

兀狄哈の習俗で、女性は皆鈴をつけていると言います。 戊午の年、3人の娘が白樺の樹皮をとりに山に入りました。 一人は無事に家に帰りましたが、残りの二人は帰りませんでした。 その年の11月、ある狩人がその山に入り、熊を仕止めました。 すると、大木の空…

ホトンの最初の七姓

アラシャン(阿拉善)地域に住むモンゴル族ムスリムは、ホトン人と呼ばれています。アラシャンとはアラク・シャン、すなわち「まだらの山」を意味し、現代の内モンゴル自治区の最西端にあります。このホトン人の姓をまとめました。 ホトン人についての20世紀…

キルギス人形成の40部族

キルギスの国旗は、赤字に黄色の太陽であり、太陽は40本の光線を持っています。これは、キルギス人の英雄マナスが赤色の旗の下に40部族を統合したことでキルギス人が形成されたとの伝説に基づくものです。ただ、『マナス英雄叙事詩』に具体的な40部族につい…

長崎代官高木家

長崎代官は、天正15年(1587)に豊臣秀吉が鍋島直茂への任命から始まります。その後の江戸時代では、村山家、末次家が長崎代官に任じられましたが、それぞれキリシタン問題、密貿易で失脚し、町年寄であった高木家の六代目作右衛門忠与が任じられ、幕末まで高…

長崎の町年寄の由緒

町年寄は、長崎奉行所が公務執行のために地元で任命した役人の筆頭です。町年寄を世襲した家系のうち、幕末まで存続した六家の由緒をまとめました。 ①後藤家 先祖代々肥前国杵島郡の領主で後藤中務大輔の嫡男後藤庄左衛門が永禄の頃、長崎へ来住し長崎最初の…