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長崎の町年寄の由緒

町年寄は、長崎奉行所が公務執行のために地元で任命した役人の筆頭です。町年寄を世襲した家系のうち、幕末まで存続した六家の由緒をまとめました。

 

①後藤家

先祖代々肥前国杵島郡の領主で後藤中務大輔の嫡男後藤庄左衛門が永禄の頃、長崎へ来住し長崎最初の頭人となり、文禄元年(1592)町年寄となる。

 

②高木家

先祖代々肥前国高木の住人で高木弾正忠の嫡子後藤作右衛門が永禄の頃、長崎へ来住し長崎最初の頭人となり、文禄元年(1592)町年寄となる。

 

③高嶋家

先祖代々近江国の住人で高嶋河内守の子高嶋八郎兵衛が長崎へ来住し、その嫡子高嶋四郎兵衛が長崎最初の頭人となり、文禄元年(1592)町年寄となる。

 

薬師寺

先祖代々豊後国の大友家に属し、薬師寺久左衛門までは筑前国に知行していたが、浪人となった後は長崎へ来住し、その子薬師寺久左衛門は磨屋町乙名、その子薬師寺宇右衛門は磨屋町乙名のあと常行司となり、その子薬師寺又三郎が元禄十年(1697)町年寄となる。

 

⑤久松家

肥前国大村の久松新兵衛が長崎へ来住していたが、実子がなく、讃州丸亀の城主生駒帯刀の末子堀尾作十郎を養子としたが、作十郎にも実子がなく、高木作右衛門の子を養子にし、久松善兵衛と改め、善兵衛は元禄十年(1697)常行司、元禄十二年(1699)町年寄となる。

 

⑥福田家

肥後国小西家に仕え、福田帯刀まで肥後国に知行していたが、その子福田伝兵衛は浪人となった後は長崎へ来住し豊後町乙名に任じられ、七左衛門、九郎左衛門と豊後町乙名を世襲し、伝次兵衛も豊後町乙名のあと常行司となり、元禄十二年(1699)町年寄となる。

 

参考文献

[1] 籏崎好紀「長崎地役人総覧」長崎文献者 (2012)