ジャポニック

五島清原氏

松浦氏以前に五島列島を治めていたという清原氏についてメモしておきます。 「青方文書」安貞二年(1228)三月十三日関東裁許状案では、平安時代末期の五島を巡る人間関係の言及があります。この裁許状案は、肥前国宇野御厨内小値賀嶋の地頭職の領有権を巡って…

平戸松浦氏の始祖

松浦一族の始祖は、延久元年(1069)に肥前国宇野御厨検校ならびに検非違使に任命され、摂津国渡辺庄から下松浦今福に下向土着した源久とされます。江戸時代に平戸松浦氏によって編纂された『松浦家世伝』では以下の流れになっています。 松浦党の先祖は嵯峨天…

阿蘭陀通詞家25姓

阿蘭陀通詞の由緒諸としてまとまっている物は、 (1)阿蘭陀通詞由緒書 明和八年書上 (2)阿蘭陀通詞由緒書 享和二年書上 (3)長崎通詞由緒書 があり、『長崎県史』「史料編第四」に収まっています。この3つの由緒書からは15姓23家が拾えます。 ①今村 ②石橋 ③名…

長崎代官高木家

長崎代官は、天正15年(1587)に豊臣秀吉が鍋島直茂への任命から始まります。その後の江戸時代では、村山家、末次家が長崎代官に任じられましたが、それぞれキリシタン問題、密貿易で失脚し、町年寄であった高木家の六代目作右衛門忠与が任じられ、幕末まで高…

長崎の町年寄の由緒

町年寄は、長崎奉行所が公務執行のために地元で任命した役人の筆頭です。町年寄を世襲した家系のうち、幕末まで存続した六家の由緒をまとめました。 ①後藤家 先祖代々肥前国杵島郡の領主で後藤中務大輔の嫡男後藤庄左衛門が永禄の頃、長崎へ来住し長崎最初の…