吐蕃の官位十二階

吐蕃の官位についてメモします。吐蕃の官位は、620年代にソンツェン王により設けられ、以下のように5段ないし6段を大小に分けていました。 ①大瑟瑟、②小瑟瑟、③大金、④小金、⑤大金塗銀上、⑥小金塗銀上、⑦大銀、⑧小銀、⑨大銅、⑩小銅(『通典』) ①大トルコ石…

五島清原氏

松浦氏以前に五島列島を治めていたという清原氏についてメモしておきます。 「青方文書」安貞二年(1228)三月十三日関東裁許状案では、平安時代末期の五島を巡る人間関係の言及があります。この裁許状案は、肥前国宇野御厨内小値賀嶋の地頭職の領有権を巡って…

ミナンカバウの王祖

18世紀後半にマースデンがジョホール人から聴収したミナンカバウの王祖についてメモしておきます。 イスカンダルは海に潜り、海の王と結婚したと言います。彼はそれにより三人の息子を設け、彼らが成人すると母は三人を父のもとに送り届けました。父は彼らに…

平戸松浦氏の始祖

松浦一族の始祖は、延久元年(1069)に肥前国宇野御厨検校ならびに検非違使に任命され、摂津国渡辺庄から下松浦今福に下向土着した源久とされます。江戸時代に平戸松浦氏によって編纂された『松浦家世伝』では以下の流れになっています。 松浦党の先祖は嵯峨天…

マラッカ王国の王祖

17世紀に編纂された『ムラユ王統記』に記載がある、マラッカ王国の王祖についてメモしておきます。 『ムラユ王統記』曰く、マケドニアのアレクサンダー大王は東方へ遠征し、インドの王ラジャ・キダ・ヒンディと闘い、これを制しました。大王はラジャ・キダ・…

阿蘭陀通詞家25姓

阿蘭陀通詞の由緒諸としてまとまっている物は、 (1)阿蘭陀通詞由緒書 明和八年書上 (2)阿蘭陀通詞由緒書 享和二年書上 (3)長崎通詞由緒書 があり、『長崎県史』「史料編第四」に収まっています。この3つの由緒書からは15姓23家が拾えます。 ①今村 ②石橋 ③名…

パサイ王国の王祖

13世紀、マレー半島の南にあるスマトラ島北部(マラッカより東)にパサイという港市国家が生まれました。この建国神話は、14世紀に原型ができたという『パサイ王国物語』に記載があります(現存する写本は18世紀のもの)。『パサイ王国物語』はマレー語によ…

李朝実録にみる兀狄哈(Udikai)の獣婚譚

兀狄哈の習俗で、女性は皆鈴をつけていると言います。 戊午の年、3人の娘が白樺の樹皮をとりに山に入りました。 一人は無事に家に帰りましたが、残りの二人は帰りませんでした。 その年の11月、ある狩人がその山に入り、熊を仕止めました。 すると、大木の空…

ホトンの最初の七姓

アラシャン(阿拉善)地域に住むモンゴル族ムスリムは、ホトン人と呼ばれています。アラシャンとはアラク・シャン、すなわち「まだらの山」を意味し、現代の内モンゴル自治区の最西端にあります。このホトン人の姓をまとめました。 ホトン人についての20世紀…

キルギス人形成の40部族

キルギスの国旗は、赤字に黄色の太陽であり、太陽は40本の光線を持っています。これは、キルギス人の英雄マナスが赤色の旗の下に40部族を統合したことでキルギス人が形成されたとの伝説に基づくものです。ただ、『マナス英雄叙事詩』に具体的な40部族につい…

長崎代官高木家

長崎代官は、天正15年(1587)に豊臣秀吉が鍋島直茂への任命から始まります。その後の江戸時代では、村山家、末次家が長崎代官に任じられましたが、それぞれキリシタン問題、密貿易で失脚し、町年寄であった高木家の六代目作右衛門忠与が任じられ、幕末まで高…

長崎の町年寄の由緒

町年寄は、長崎奉行所が公務執行のために地元で任命した役人の筆頭です。町年寄を世襲した家系のうち、幕末まで存続した六家の由緒をまとめました。 ①後藤家 先祖代々肥前国杵島郡の領主で後藤中務大輔の嫡男後藤庄左衛門が永禄の頃、長崎へ来住し長崎最初の…